ジブリの都市伝説には、公式に否定された説、制作資料や発言をもとに膨らんだ説、事実として確認できる裏話が混在しています。
「サツキとメイ死亡説」「千と千尋の死後世界説」「ラピュタの別エンディング」など、代表的な噂を作品ごとに整理しながら、どこまでが事実なのかを見ていきましょう。
ジブリの都市伝説一覧|有名な怖い説と真偽を整理
ジブリ作品には、明るく温かな物語の裏側に「実は怖い意味が隠されているのではないか」と想像させる余白があります。
特に有名なのが、『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』『天空の城ラピュタ』をめぐる都市伝説です。
代表的な説を整理すると、次のようになります。
| 作品 | 主な都市伝説・裏話 | 確認状況 |
|---|---|---|
| となりのトトロ | メイ死亡説・サツキ死亡説・トトロ死神説 | スタジオジブリ側が否定 |
| となりのトトロ | 人間に敗れた「トトロ族」の生き残りという構想 | 初期構想として語られた情報 |
| 魔女の宅急便 | キキが飛べなくなった理由に成長が関係する説 | 解釈が先行しており断定困難 |
| 魔女の宅急便 | 「宅急便」とヤマト運輸の関係 | 作品制作上の実話を含む |
| 風の谷のナウシカ | 舞台は火星・登場人物は小人という説 | 都市伝説・考察 |
| 天空の城ラピュタ | テレビ放送だけの別エンディング | ジブリ側は否定 |
| もののけ姫 | タタラ場の病者とハンセン病の関係 | 作品背景と関係する重要な論点 |
| 千と千尋の神隠し | 異世界=死後の世界という説 | 作品解釈・都市伝説 |
| 千と千尋の神隠し | 劇場版だけに存在した幻のエンディング | スタジオジブリが否定 |
| 千と千尋の神隠し | 台湾・九份がモデル | モデル説は否定 |
ここで最初に押さえておきたいのは、「都市伝説」と「裏設定」は同じではないということです。
制作者が語った初期構想、制作途中で没になった案、ファンが映像から導き出した考察、完全なデマが一緒になって流通した結果、「ジブリの裏設定」と一括りにされているケースが少なくありません。
この境界を意識すると、都市伝説そのものを楽しみながら、事実まで見失わずに済みます。
『となりのトトロ』の都市伝説|サツキとメイは死んでいる?
『となりのトトロ』で最も有名なのが、メイ死亡説、サツキ死亡説、そしてトトロ死神説でしょう。
物語後半、メイは病院へ向かおうとして迷子になります。
村人たちが捜索を続ける中、池から子ども用のサンダルが発見され、サツキが確認します。しかし、サツキはそれを見てメイの物ではないと答えました。
ここから都市伝説では、「本当はメイのサンダルだったのではないか」という解釈が生まれました。
小さな村の池に、ちょうど同じ時期に別の子どものサンダルが落ちているのは不自然だ、というのが理由です。
さらにサツキは、トトロにメイのもとへ連れていってほしいと頼みます。
もしメイがすでに亡くなっているなら、サツキが向かった場所も現世ではないのではないか――。そんな連想が死亡説を一段と怖いものにしました。
サツキとメイの「影がない」は死亡の証拠なのか
死亡説の有名な根拠として語られるのが、物語後半になるとサツキとメイの影が見えにくくなるという指摘です。
「影がない=すでに死者になっている」というわけですね。
しかし、この説については、光源や時間帯に応じて影の描写が変化していると見るほうが自然です。
そして何より重要なのは、スタジオジブリ自身がメイ死亡説とトトロ死神説を否定している点でしょう。
2007年5月の『ジブリ日誌』では、トトロが死神である、メイが死んでいるといった設定は作品には存在しないという趣旨の回答が掲載されました。
一般のファンから広報部へ「トトロは死神なのか」と問い合わせまで寄せられていたため、制作側が明確に回答したわけです。
したがって、「サツキとメイは死亡している」という話を公式の裏設定として紹介するのは誤りです。
トトロは死神なのか
もう一つ、死亡説とセットで語られてきたのがトトロ死神説です。
トトロは誰にでも見えるわけではなく、サツキとメイには見える一方、カンタには直接その姿が見えていません。
この違いから、「死が近い人にだけ見える存在なのではないか」という解釈が生まれました。
また、「トトロ」という名前を西洋の妖精・トロールと結びつけ、死や異界とのつながりを読み取る説もあります。
ただし、こちらも先ほど触れた通り、公式設定としての死神説は否定済みです。
都市伝説としては実に美しく組み上がっていますが、証拠を一つずつ確認すると、「劇中の曖昧な部分を後から一本の物語に結び付けた説」であることが見えてきます。
「トトロ族」は本当に存在した?
一方で、完全なデマとは呼べない興味深い話もあります。
2016年に配信された鈴木敏夫さん、押井守さん、川上量生さんによる対談では、宮崎駿監督の初期構想について「トトロ族」と呼べるような壮大なイメージが語られました。
そこでは、かつて人間とトトロの一族が戦い、人間側が勝利し、生き残った存在が後世にもののけやお化けとして姿を現し、現代の所沢にも現れる――といった世界観が紹介されています。
もちろん完成した『となりのトトロ』で、この歴史が物語として描かれているわけではありません。
しかし、都市伝説とは異なり、作品が生まれる以前の宮崎駿監督の発想に根を持つ話だという点は重要です。
私はここに、ジブリ都市伝説が大量に生まれる理由の一端を見るように思います。
完成作品の外側にまで巨大な世界を想像してから必要な部分だけを映画に残すため、観客には説明されない「奥行き」が生まれる。その空白へ人々の想像力が入り込み、都市伝説へ成長していくのでしょう。

『魔女の宅急便』の都市伝説|キキが飛べなくなった本当の理由は?
『魔女の宅急便』にも有名な説があります。
その代表が、物語後半でキキが突然、魔法の力をうまく使えなくなり空を飛べなくなる理由です。
ネット上では、
- トンボへの恋によって心が変化した
- 思春期を迎えて精神的に不安定になった
- 少女から大人へ成長する身体的変化を表している
など、さまざまな説明が語られてきました。
中でも広く知られるのが、「キキが初潮を迎えたことの暗喩ではないか」という説です。
しかし、元資料自体も宮崎駿監督の発言について「ソースを確認できていない」としています。
そのため、初潮説を宮崎駿監督公認の答えとして断定することは避けるべきでしょう。
作品中では、キキは新しい町で仕事を始め、他人の評価に傷つき、自信を失い、魔法まで不調になります。
そう考えると、特定の身体現象一つに答えを限定するより、「成長過程で自分自身を見失った状態」と読むほうが作品全体には自然に重なります。
都市伝説は一つの可能性として面白いのですが、答えを固定した瞬間、逆に作品の豊かな余白を狭くしてしまうこともあるのです。
原作ではキキとトンボの人生は続いていく
映画版だけを見ると、キキとトンボの未来は明確には描かれません。
一方、角野栄子さんによる原作小説では物語がその先まで続き、キキとトンボの関係も映画より長い時間軸で描かれます。
元資料では、二人が結婚して双子の子どもを授かることや、ジジにも家庭ができる展開が紹介されています。
つまり「宮崎駿監督が映画でどう解釈したか」と「原作シリーズで描かれたキキの人生」は分けて考える必要があります。
これも都市伝説を読むうえで大切なポイントです。
映画版の設定、原作の設定、ファンの考察を混ぜると、存在しない“公式設定”が簡単に出来上がってしまうからです。
『魔女の宅急便』とヤマト運輸の関係は都市伝説ではない?
「宅急便」という言葉をめぐる話も有名です。
宅急便はヤマト運輸が商標として使用してきた名称であり、そのため「ジブリ側が許可を取らずタイトルに使用してしまい、後からヤマト運輸がスポンサーになることで解決した」という都市伝説が語られてきました。
しかし、元資料では実際の流れは異なるとされています。
映画化企画の段階で「宅急便」の商標について確認し、ヤマト運輸側へスポンサー参加を打診。当初は難色を示したものの、作品に黒猫のジジが登場することなどもあり、最終的にスポンサー参加へ話が進んだというものです。
つまり、無断使用して大問題になったという部分が都市伝説化した可能性が高いわけです。
現実に存在する会社、登録商標、黒猫のキャラクターという複数の事実が絶妙につながるため、「後から揉めた」という物語が非常に信じられやすかったのでしょう。
『風の谷のナウシカ』『ラピュタ』『もののけ姫』に残る都市伝説
ジブリ都市伝説を一覧で追っていくと、『となりのトトロ』と『千と千尋の神隠し』ほど有名ではなくても、興味深い説が各作品に残されています。
中には、都市伝説と思われているものが実際には制作上の事実だったケースもあります。
『風の谷のナウシカ』はスタジオジブリ制作ではない?
これは都市伝説ではなく、作品史上の事実として整理するべき話です。
『風の谷のナウシカ』はスタジオジブリ設立前に制作された作品で、制作を担ったのはトップクラフトでした。
宮崎駿監督、高畑勲さん、鈴木敏夫さんら後のジブリを代表する人物が深く関わっていますが、「スタジオジブリが制作した映画」という意味では厳密に異なります。
その後、『天空の城ラピュタ』の制作へ向かう流れの中でスタジオジブリが設立されていきました。
今ではナウシカもジブリを代表する存在として扱われるため、この制作会社の違いが「実はジブリ作品ではない」という驚きの豆知識になったわけです。
ナウシカの舞台は火星なのか
都市伝説らしい説になると、「ナウシカの舞台は火星だった」というものがあります。
作中世界の荒廃した大地、巨大な菌類や生物、メーヴェの飛行性能などを現実の惑星環境と結びつけ、「重力の弱い火星なら成立するのではないか」と考察されたものです。
さらに「ナウシカたちは実は小人ほどのサイズで、巨大に見える虫たちとの比率もそのためだ」という説まで存在します。
非常に想像力を刺激される考察ですが、元資料に公式設定として確認できる根拠はありません。
こうした説は、作品世界を現実の物理法則へ当てはめて遊ぶタイプの都市伝説と捉えるのが妥当でしょう。
なお、『風の谷のナウシカ』の風の谷について、オーストラリアのカタ・ジュタ周辺がモデルだったという説も広まりました。
しかし、非公式ファンサイト「ジブリのせかい」がまとめた情報では、宮崎駿監督がそこでロケハンした事実はなく、公式側もオーストラリアにモデル地があるという話を否定しています。
王蟲の鳴き声と布袋寅泰
一方、都市伝説のようで実際の制作秘話につながるのが王蟲の鳴き声です。
元資料では、ギタリストの布袋寅泰さんが自身のSNSで、王蟲の鳴き声に自分のギターが使用されたことを明かしたエピソードが紹介されています。
秘密の設定ではなく音響制作に関する裏話ですが、長く知られていなかったため都市伝説めいた情報として広まりました。
「信じられないから都市伝説」なのではなく、「事実なのに驚くほど奇妙」という逆方向の例です。
『天空の城ラピュタ』の幻のエンディングは存在する?
『天空の城ラピュタ』には、テレビ放送でだけ流れた別エンディングがあるという都市伝説があります。
その内容は、パズーがシータを故郷まで送り届け、二人が別れる場面があったというものです。
しかも興味深いことに、「自分は確かにテレビで見た」と記憶している人が複数存在すると語られてきました。
ところが、ジブリ側はそのような別エンディングの存在を否定しています。
では、なぜこれほど具体的な記憶が生まれたのでしょうか。
有力な説明の一つが、過去のテレビ放送で放送局側が編集した短縮版エンドクレジットです。
そこでは本編のカットや宮崎駿監督によるイメージボードなどが組み合わされることがあり、通常版とは異なる印象を与えました。
それを幼い頃に見た視聴者の記憶が、「本編とは違う後日談を見た」という形へ再構成された可能性があります。
これは都市伝説研究ではとても面白い現象です。
人間の記憶は録画映像のように保存されるものではありません。後から得た情報や似たイメージによって補完されるため、大勢が似た「存在しない記憶」を語ることも起こり得ます。
いわゆるマンデラ効果と呼ばれる現象と重なる部分があり、ラピュタの幻のエンディングは、ジブリ都市伝説の中でも特に「記憶そのものの不思議」を感じさせます。
ムスカは最後にどうなった?
「バルス」によってラピュタが崩壊した後、ムスカの最期はアップでは描かれません。
しかし崩落する瓦礫を注意深く見ると、人影のような姿が落下していく場面を確認できるとされています。
これは別エンディングほど大きな謎ではありませんが、ジブリ作品が細部まで描き込まれているからこそ生まれる「一時停止して確認したくなる裏話」の代表でしょう。
『もののけ姫』のコダマは後のトトロなのか
『もののけ姫』では、森に暮らす小さな精霊「コダマ」が印象的です。
このコダマの一体が長い年月を経てトトロになったという説も知られています。
『もののけ姫』と『となりのトトロ』が直接つながるような想像は魅力的ですが、映画の本編で共通世界が明示されているわけではありません。
したがって、作品同士の時系列を確定させる公式設定として扱うより、宮崎作品を横断して楽しむ裏話として受け止めるのが安全です。
タタラ場の病者はハンセン病患者なのか
『もののけ姫』でエボシ御前が保護している病者たちは、身体を布で覆いながら生活し、タタラ場のために銃器を作っています。
元資料でも、病者が自分たちの傷んだ身体をエボシが洗い、布を巻いてくれたと語る場面から、ハンセン病との関係が指摘されています。
これは単純な「怖い都市伝説」として扱うべき題材ではありません。
ハンセン病は、らい菌による感染症で、長い歴史の中で患者への深刻な差別や隔離が行われてきました。
『もののけ姫』の病者たちを見るときも、恐怖の存在としてではなく、社会から排除された人々をエボシが共同体の一員として迎え入れている描写に注目する必要があります。
この部分は、『もののけ姫』が単純な善悪では割り切れない物語であることを象徴していると私は感じます。
エボシは森を破壊する側である一方、社会の周縁に追いやられた者を受け入れる人物でもある。都市伝説を入口にしても、最後にはこうした作品本来の複雑さへ戻ってくるのがジブリの面白さです。
『千と千尋の神隠し』の怖い都市伝説|油屋や死後の世界説とは?
『千と千尋の神隠し』は、ジブリ作品の中でも特に都市伝説の多い一本です。
不思議なトンネル、突然現れる町、神々が集う油屋、豚に変えられる両親、正体不明のカオナシ――。
作品そのものが「境界を越えて異界へ迷い込む物語」であるため、怖い解釈が生まれやすい土壌があります。
千尋が迷い込んだ場所は死後の世界なのか
有名なのが、千尋たちの一家は物語冒頭ですでに事故に遭い、不思議な町は死後の世界だったという説です。
根拠として語られるのが、まず帰り道を塞ぐ巨大な川です。
来たときには草原だった場所が水に覆われており、これを現世と死者の世界を隔てる「三途の川」に見立てる解釈があります。
さらに終盤、ハクは千尋に元の世界へ戻る際、「振り向かないように」という趣旨の注意をします。
日本神話の『古事記』に登場する黄泉の国の物語では、イザナギが死者の国を訪れ、イザナミとの約束に関わる「見る/振り返る」という禁忌が重要な意味を持ちます。
こうした日本の異界譚との共通性から、「千尋がいたのは死後の世界ではないか」という説が生まれました。
ただし、これも「一家が事故死している」という公式設定を示すものではありません。
むしろ、昔話や神話で繰り返されてきた「境界を越える」「異界の食物を口にする」「名前を奪われる」「振り返ってはいけない」といったモチーフが作品に散りばめられているため、死後世界の物語としても読めてしまう――というのが実態に近いでしょう。
私はこの違いが非常に重要だと思います。
「死後の世界だった」という一つの答えに閉じるより、日本人が古くから抱いてきた“向こう側の世界”への感覚を利用している作品と見るほうが、千尋の異界体験をより豊かに捉えられます。
両親が豚になったのはなぜ?
物語冒頭、千尋の両親は誰もいない店に並べられた料理を勝手に食べ始め、その後、豚へ姿を変えられてしまいます。
都市伝説では、この場面を「欲望に支配された人間への批判」と解釈することがあります。
食べることしか考えなくなった人間が、逆に食べられる側の家畜へ変えられる――という皮肉です。
確かに象徴的な場面ですが、これも「この意味しかない」と断定できるものではありません。
一方で、物語上は非常に明確な役割があります。
両親が豚になることで千尋は保護者を失い、自分自身で判断し、働き、名前を取り戻さなければならなくなるからです。
怖い変身シーンでありながら、物語構造としては千尋を子どもの安全圏から強制的に外へ押し出す装置になっています。
油屋は遊郭をモデルにしている?
「油屋は遊郭である」という説も、ネットで広く知られています。
油屋で働く女性たち、夜になると神々が訪れること、千尋が「千」という新しい名前を与えられて働くことなどから、遊郭や接客業の歴史的イメージと関連づける考察です。
ただし、「油屋=遊郭」と一対一で断定してしまうと、作品が持つ複数のモチーフを単純化する危険があります。
『千と千尋の神隠し』の油屋には、日本の温泉旅館、銭湯、歓楽街、奉公文化など、さまざまなイメージが重ねられています。
都市伝説を読む際には、刺激的な単語だけを抜き出すのではなく、複数の文化的要素を組み合わせた舞台である可能性を忘れないほうがよいでしょう。
千尋はなぜ最後の豚当て問題に正解できた?
終盤、湯婆婆は千尋に並んだ豚を見せ、「この中から両親を当てる」という最後の試験を与えます。
千尋は一頭ずつ選ぶのではなく、そこに両親はいないと答え、正解します。
なぜ分かったのでしょうか。
元資料では、この疑問について宮崎駿監督が、これまでの経験を経た千尋だからこそ分かる、という趣旨の説明をしたと紹介されています。
ここには、映画全体を貫く成長のテーマが集約されているのでしょう。
最初の千尋は両親に頼り、引っ越しを嫌がり、不安ばかり口にする少女でした。
しかし油屋で働き、ハクを助け、カオナシと向き合い、銭婆のもとまで自分で旅をする過程で、「説明されなくても自分で判断する力」を身につけます。
つまり最後の正解は、知識で解くクイズというより、千尋が以前の千尋ではなくなったことを示す場面と考えると腑に落ちます。

ジブリの「幻のエンディング」とモデル地はなぜ都市伝説になる?
ジブリ都市伝説の中には、複数作品で何度も繰り返されるパターンがあります。
それが「幻のエンディング」と「実在するモデル地」です。
『千と千尋の神隠し』にも別エンディングがあった?
『千と千尋の神隠し』にも「劇場公開時だけ別のラストが上映された」という噂があります。
その内容はかなり具体的です。
不思議な町から戻った千尋一家が新居へ到着すると、引っ越し業者が待っている。そして千尋が家の近くで川を見つけ、それがハクにつながる存在だと気づく――という筋書きです。
ここまで細かいと、思わず「実在したのでは」と感じてしまいます。
しかし、2022年1月7日、スタジオジブリの公式Twitter(現X)は、別エンディングについて「都市伝説です」と回答しました。
さらに、宮崎駿監督が初期段階では千尋の家から物語を始める案を考えていたものの、最終的には採用しなかったという趣旨の話も紹介されています。
つまり、完成版には存在しないアイデアや視聴者の記憶が混ざり合い、「昔見た別エンディング」へ変化した可能性があります。
『天空の城ラピュタ』でも似た噂があることを考えると偶然とは思えません。
ジブリ映画はテレビで何度も再放送され、そのたびに放送時間やエンドクレジットの編集方法が変わることがあります。
さらにイメージボード、絵コンテ、関連書籍、テレビ番組などで本編にはない絵を見る機会もある。
異なる時期に見た複数の映像が一つの記憶として結びつき、「幻のラスト」を作ってしまう。
これこそ、ジブリ都市伝説を考えるうえで見逃せない仕組みではないでしょうか。
『千と千尋の神隠し』のモデルは台湾・九份?
赤い提灯が並ぶ坂道や古い建物で知られる台湾の九份は、長年『千と千尋の神隠し』のモデル地として紹介されてきました。
現地の雰囲気が作品世界と似ているため、写真を見ると信じたくなるのも分かります。
しかし、宮崎駿監督が九份でロケハンを行った事実はなく、モデル地だったという説は否定されています。
元資料で参考にされた場所として挙げられているのは、江戸東京たてもの園の子宝湯、道後温泉本館、目黒雅叙園、鹿鳴館、有楽町や新橋の歓楽街、のんべい横丁などです。
つまり「そっくりな場所」と「制作時に参考にされた場所」は別物なのです。
同じ現象は『風の谷のナウシカ』でも起きています。
オーストラリアのカタ・ジュタ周辺に「Valley of Wind」と呼ばれる場所があることから風の谷のモデル説が広まりましたが、こちらもモデル地としては否定されています。
このタイプの都市伝説は、写真一枚で非常に拡散しやすいという特徴があります。
「似ている」→「モデルかもしれない」→「モデルらしい」→「公式モデル」というように、伝言ゲームの途中で推測が事実へ変化するのです。
ジブリ都市伝説はなぜこれほど増えるのか?私が考える本当の怖さ
ここからは私見です。
私は、ジブリの都市伝説がこれほど大量に作られる理由は、作品に「説明不足」があるからではなく、むしろ説明しすぎないことに成功しているからだと考えています。
トトロが何者なのか。
カオナシとは何なのか。
ハクはその後どうなったのか。
コダマはどこから来たのか。
なぜキキは突然飛べなくなったのか。
ジブリ作品は、こうした問いに辞書のような答えを与えてくれません。
観客は映像、台詞、音楽、人物の表情から自分で意味を読み取ることになります。
そして、その「意味を見つけたい」という心理こそが都市伝説を生み出します。
特に興味深いのは、本物の制作秘話が都市伝説の発生源になる場合があることです。
『となりのトトロ』には完成版には描かれなかった壮大な発想があり、『紅の豚』には制作途中で検討された別エピローグの絵コンテが存在します。
『千と千尋の神隠し』にも、完成版とは異なる初期構想がありました。
こうした「本当に存在した別案」が断片的に知られると、「では完成版にも秘密の映像が残っているのではないか」と想像したくなる。
事実という小さな火種に、記憶と想像が薪としてくべられ、やがて一つの都市伝説になるわけです。
もう一つ、ジブリ作品には日本の昔話や民間信仰を連想させる構造が多くあります。
森の奥にいる人ならざるもの。
トンネルの向こう側に存在する世界。
名前を奪う魔女。
異界の食べ物。
川の神。
帰るときに振り返ってはいけないという禁忌。
私たちは、これらを完全に初めて見るわけではありません。
幼いころに聞いた昔話や神話の記憶とどこかで重なるからこそ、「この物語には表面とは別の意味があるのではないか」と感じるのでしょう。
そして私は、そこにジブリ都市伝説の本当の魅力があると感じています。
怖いのは「メイが実は死んでいた」という説そのものではありません。
公式が否定しているにもかかわらず、多くの人が映像の断片から同じ物語を作り上げ、それを“昔から知っていた事実”のように記憶してしまうことです。
都市伝説は作品の中に隠されているとは限りません。
見る側である私たちの記憶と想像力の中で生まれていることもあるのです。
まとめ|ジブリ都市伝説は「公式設定」と分けて楽しみたい
ジブリの都市伝説には、『となりのトトロ』のサツキ・メイ死亡説やトトロ死神説、『千と千尋の神隠し』の死後世界説、『天空の城ラピュタ』の幻のエンディングなど、長く語り継がれてきたものがあります。
しかし、サツキとメイ死亡説、ラピュタの別エンディング、千と千尋の別エンディング、九份モデル説など、公式側から否定されている話も少なくありません。
一方、『となりのトトロ』の初期構想や、『魔女の宅急便』とヤマト運輸の関係、『風の谷のナウシカ』の制作会社など、都市伝説のように聞こえても実際の制作背景に根ざしている話もあります。
大切なのは「怖くて面白いから事実」と考えないことです。
公式設定、制作途中の構想、制作者の発言、ファンの考察、完全なデマ。この五つを切り分けるだけで、ジブリ都市伝説はずっと奥深く見えてきます。
そして、真偽を確かめた後でも不思議な余韻が残る。
それこそが、何十年経っても新しい解釈を生み続けるジブリ作品の強さなのかもしれません。
よくある質問
『となりのトトロ』のメイとサツキは本当に死んでいるのですか?
いいえ。メイ死亡説やトトロ死神説については、スタジオジブリ側が2007年5月の『ジブリ日誌』で否定しています。
「影がない」「池のサンダルがメイの物だった」といった話は都市伝説として広まりましたが、公式設定として扱うことはできません。
『千と千尋の神隠し』には幻のエンディングが存在するのですか?
スタジオジブリは、別エンディングの存在を否定しています。
2022年1月7日に公式Twitter(現X)でも「都市伝説」と回答されており、新居到着後まで物語が続くという有名なラストは完成版には存在しません。
ジブリの都市伝説は全部デマなのですか?
いいえ。完全な創作だけではありません。
制作途中の初期構想、絵コンテ、制作者の発言、実際の制作事情などを出発点にした説もあります。ただし、それらが伝わる途中で内容を付け足され、「公式の裏設定」に変化している場合があるため、事実と考察を分けて楽しむことが重要です。




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